国境の町 - その1(ハノイからラオカイまで)
こちらで生活を始めて8か月半。この間、喧騒のハノイから一歩も出ず、いささか息苦しくなってきたところです。大学は前期末試験の最中で学生はフーフー言っていますが、授業はなしの恩恵を利用して鉄道旅行をしました。1月2日早朝6時15分、ハノイ発ラオカイ行き、各駅停車で9時間ちょっと。行き先は中国、目当てはうまい料理。ラオカイはハノイの北西約300キロにある国境の町です。
東京あたりですと、朝6時過ぎにはようやく明るくなるころでしょう。ベトナムと日本とでは2時間の時差があります。深い曇り空のせいもあって、タクシーで駆けつけたハノイ駅はまだ真っ暗。北部随一の駅と言えども構内は高い蛍光灯の電柱がぽつりぽつり。転ばないよう、むき出しの線路に注意しながら目指すホームへ向かいました。ハノイ駅はいわゆるハノイ駅とそれに向かい合う形でハノイB駅があり、ハノイ駅は南部方面への発着、B駅は北部方面への発着となっています。全部で10番線ぐらいまで、すべて平らというか、青天井の1階だけです。すでに何本かの列車が入線しており、時折アナウンスがなんとかと言っておりますけれども、さっぱり分かりません。さして広い駅でもないのですが、案内板は見当たらず、列車の腹にどこそこ行きと書いてあるわけでもないので、駅員とおぼしき人に何回も聞きながらラオカイ行きのホームに着きました。
ラオカイ行きは気動車が引っ張る10両編成で座席はすべて堅い木のボックス型。定刻6時15分、出発の合図もないまま、ガタリと音も立てず、ゆっくりと、実にゆっくりと発車。空は曇りから小雨混じりに変わってきました。列車の数が少ないからOKなのでしょう、人家が建て込み、それこそ生活の場ともいえる軒先をかすめるようにしてゴトゴト走ります。明けやらぬ前、街路灯や民家の灯りが点る中、見慣れたハノイの街も旅行者として見ると新鮮に映ります。民家の軒、軒、軒を通り抜け、商店街を通り抜け、町工場を通り抜け、いくつかの橋を渡ると、とたんに田んぼや水田の田園風景が広がってきます。ラオカイに至る道程のほぼ半分はソン・ホン(紅河)のデルタ地帯を通過しますので、単調な景色です。それでも緑の農村は久しぶりにハノイを離れる者の目には新鮮です。驚いたことに冬の寒さの中、裸足で水田に入り、水牛に鋤を引かせている農民が結構多いのです。多分、あと1、2か月もすれば水が温んでくるのでしょう。そのための準備に余念がありません。
それにしても無骨な中国製のこの列車は寒い。体は硬く、足先が痛いほどです。1年のうち4月から11月まで夏が続く当地では住居や公共の建物同様、こうした交通機関も概ね夏仕様。冬の寒さについてはあまり考慮していないようで、暖房などある訳がない。窓はガラスではなく、どういうわけかプラスチックで、しかもひっかき傷だか汚れだかのため曇りガラスに近い状態で外がはっきり見えません。私はもともと汽車好きではありますが、それも窓外に流れる風景を眺められてこその話です。そこで、その見えにくい窓を上げて、開けなくてはなりません。不思議とこちらの人は南国人なのに、寒さにも強いと見えて、あちこちで窓が開いており、寒いから閉めろ、などと文句を言ってくる人はいません。もっとも速度が遅いので風がさして吹き込まないせいもありましょう。ジャンパーを着込み、こんなこともあろうかと持ってきた大きなタオルで体を包んだ格好で外の景色を眺めます。プラスチック窓の外側に更に2センチ角くらいの網格子の入った窓が一枚。これがまた窓外の景色を妨げるのでありますが、なぜこんなものがというと、どうやら子供がいたずらに投げつける石を防ぐためらしいのです。まあ、日本の高速の鉄道ならそんなことは考える余地もないことでしょうけれども…。
この列車に食堂車はありませんが、そんなものは必要ないほど車内販売のおねえさん、おにいさん、おばさんたちがワゴンや籠に品物を入れて、ひっきりなしにやってきます。また到着する駅ごとに物売りがワッと寄ってきます。飲み物、お菓子は勿論、バナナの葉っぱで包んだ餅や飯の類、果物、コッペパン、揚げ物、ソーセージ…。挙句は雑貨や古本や靴磨きまで。
ハノイを出て4時間、大河ソン・ホンもこのあたりまでくると、川幅はわずか200メートル前後。中間駅のイェンバイを過ぎ、ソン・ホンを常に左に見ながら、少しずつ上りにかかります。そして、山また山を越えるようなところにも棚田が広がって、目も心も和みます。鉄道は単線、たまあに停車駅で上り列車とすれ違いながら、いくつかの田舎町を通り過ぎ、ゆっくりゆっくり終着のラオカイに向かいました。
国境の町 - その2(河口)
大きく右に曲がるソン・ホン沿いをしばらく走って、定刻より20分遅れの午後3時50分、ラオカイ到着。ここはラオカイ省の省都とは言え、目立った建物もなく、駅前も屋台の並んでいる広場の周りに何軒かの旅館、商店などがポツポツと見られる程度の小さな町のようです。やたらと埃っぽいのは、これから盛んになるであろう中国との貿易の中継地として、何やら建設が進んでいるためでしょう。1979年の中越戦争の折り、徹底的に破壊されてしまったせいかもしれません。駅から国境まで約3キロ、タクシーで10分もかからない距離です。
イミグレーションはソン・ホンにかかる橋のたもとにあります。驚いたことにラオカイ第一と思わせる5階建て近代的ビル。向こう岸の中国側と張り合っているのでしょうか。1階が出入国事務所と税関になっており、旅行者が少ないからか、ベトナムらしい業務姿勢のためか、係官同士おしゃべりをしたり、旅行者と冗談を言い合ったり、なんとものったりゆったりの越境手続きです。出国スタンプを押してもらい、イミグレを出ますと、目の前が国境の橋。陸路を超えるのは、昔、マレーシア・ジョホールとシンガポール間の越境以来で、ワクワクいたします。橋は長さ百数十メートル、幅30メートルぐらいはある立派な鉄橋で、真ん中が車道、両欄干側が歩道になっています。ぽつりぽつりの旅行者よりも、特徴ある三角形ですぐにそれとわかる編み笠をかぶったベトナム人商人の自転車の方が多いくらいです。
渡ったところが中華人民共和国雲南省の河口という町。はて、海から数百キロも上流の町なのになぜ河口?中国側の入国手続きも閑散としてはいますが、どうやらベトナム側とは対照的にきりっとした顔つきの審査官の、ごく事務的で生真面目な手続きです。そして、イミグレを出たすぐから、これまた対照的。あちらは4、5階建ての家々が歯の抜けたような佇まいを見せておりましたが、こちらは10階建てほどの堂々たる事務所、役所、アパートなどが立ち並び、その1、2階は土産物屋、薬局、電器屋、食料品店、旅行代理店などが軒を連ねています。言わば、奥多摩あたりへハイキングに出かけたとして、自然いっぱいの山から下りてきて、奥多摩町の町並みが青梅市へと展開したような感覚です。そして、確かに中国なんですね。店の看板といい、広告塔といい、道路標識といい、すべて漢字。たとえ中国の簡体字が混じっていても、日本人にはローマ字だらけのベトナムより「目に優しい」。
その建物と建物に間には必ず安宿があって、バックパッカー諸君にはありがたいことでしょう。いや、安宿と分かったのはしばらくたってからの話で、驚くなかれ、北朝鮮拉致被害者の方々が住まわれた、かの「招待所」なる看板がずらり。何だこれは、と思ったものです。さて、我々も先ずは宿を探さなくてはなりません。今まで国内外を旅行いたしましたが、宿はいつも行き当たりばったりです。現地に着いてからイエローページで電話番号を調べ、値段を聞いて、予算に合ったところを訪ねて部屋を見せてもらい、しかる後にコンファームするのです。これで野宿したことは一度もありません。まあ、招待所は若い人に任せ、メーンストリートを探し回ること数軒。値段と部屋・雰囲気・ロケーションとを比較して「南亜賓館」1泊120圓(約2,400円)に決定。これでも立派に次の間(麻雀部屋)付きのツインベッドルームなのですぞ。時は既に夕刻、暮れなずんだ街路をぶらぶら歩きながらレストランを探すことにいたしました。
中国ではぜひヤキソバとギョウザが食べたい、との一心でここまで来たものです。いったいどの店に入ろうか。あまり汚いところは嫌だし、さりとて高そうなのも…。結局、2階の、下から見上げた感じ、明るくて暖かそうな飯店へ。メニューを持ってこさせたところ、これがさっぱり分からない。ヤキソバは「焼蕎麦」とは書いてありません。そこで、ヤキソバは「炒麺」、ギョウザは「餃子」と筆談。しかしあとが続かない。菜、魚、牛、猪、鶏はいいのですが、その前後の粉、沙、炸やらが分からない。更には泥だとか腐までも。えい、ままよ、と注文して出てきたのが甘辛スープ、青菜の炒め物、揚げ魚などなど。そしてその味が…、ナニ?これじゃ香草たっぷりのハノイの味とぜんぜん変わらないじゃん!
翌日。どうも痰が絡んで喉が痛い。つばを飲み込むと引きつるように痛い。妻までも同じようなことを言うのです。そもそもハノイを出るときも何となく体が重かったうえに、あの寒々した列車で、体を縮こまらせながら窓を開けっぱなしにして乗っていたのがまずかったか…。予定では更に昆明まで行くのだが…。調べたところ、鉄道はあることはあるが、途中が地崩れで危険だとかでもっぱら貨物輸送だけ。頼りはバスのみ。そこで、ホテルから歩いて5、6分のバスターミナルへ行ってみました。そこには軒先に昆明をはじめ、大里、石屏、蒙自、箇旧などの行き先と発車時間と思しき数字が書かれています。見たところ昆明行きのバスは朝発の昼行便数本と夕方初の夜行便数本。今日これから出る昼行は20人乗りのミニバスしかない。片側1車線の山岳道路を上ったり下りたりで9時間。ちょっと腰が引けたところに、交通局の安全ポスターを見てしまったのです。それが日本のとはぜんぜん違うんですね。恐怖心を煽るためでしょう、トラックにぶつかってメチャメチャの車から放り出された人が血を流して倒れていたり、車輪に挟まれていたり、ハンドルに顔を突っ込んでいたり、モロなんです。体調もよくないし、無理は止めました。幸い今日は少し暖かいので、街を見て、ソン・ホンの川岸をゆっくり散歩して、お土産も買って、公園でリラックスしようということにいたしました。
ここは国境の町、中越貿易の通過点です。両国間には膨大な輸出入量があると思いますが、ここでは目に見える形で物資が動いていきます。それももっぱらベトナムの運び屋さんが、河口で買った食料品や電気製品やあらゆる種類の雑貨を自転車に山のように積んだり、くくりつけたりしてせっせと押していくのです。中には一台の自転車を3人がかりで押していくものも。それは関税が荷物量に関係なく、自転車1台でいくらという勘定だからなのです。ですから積めるだけ積む。3人がかりというのも、普通、ハンドルは肩幅より少し広いぐらいの長さですが、それを取っ払って1メートル半ほどの鉄棒に取り替え、前輪の両側から二人で押すのです。肝心の荷台はリヤカーほどもあって、これをもう一人が後ろから押す。当然サドルなんぞはありません。要するに国境の橋を渡るためだけの改造二輪トラックというわけです。
街の角々では中国の饅頭・ベトナムのフォーがもこもこと暖かそうな湯気を吹き出し、市場からは中国人・ベトナム人双方の掛け合いが聞こえ、中国圓・ベトナムドンが流通し、共存共栄を保っているようです。我々はこんな河口の風情を楽しみ、二泊の後、夜行特急列車でハノイへの帰途に着きました。