垣根の高低
日本留学から1年ぶりに帰ってきた学生が、日本人は冷たいと私に言います。いわく「挨拶しても返事をしてくれない。」「顔を見て話しても目をそらされる。」「自分に夢中で、人のことに関心を持たない。」
なるほど、思い当たる節はあります。しかし、冷たいと言われて、反面、そうかな?と思う部分もあります。どこの国でも温かい人がいれば、冷たい人もいる。ただ、日本人は一般に冷たいのか?
ある資料を読んでいたら、ハノイ旧市街ハンバック通りから細い横道を入ったところに、フレンチ・コロニアル様式が普及する前からの住宅が完全に残っている一角があるとありました。そこは18世紀初めにタイビン省ファットロック村の住民が移り住んできた街で、その奥の一軒に祖先が祀られているそうです。その記事に興味を覚えた私は訪ねてみることにしました。
幅3メートルぐらいの路地。狭くて商店街と呼べる風ではありません。路地入口に屋台が集まり、道端に茶店がいすを並べているほかは2階建ての民家が続き、日常生活が営まれています。50メートルぐらい奥の、路地が右へ折れる角に霊堂への門があります。門の内側は数件の民家。私は門をくぐり、小さな池やら台所脇やら、言わば民家の中庭そのものを通って突き当りの、ここと思しき家の玄関を開けました。勿論「こんにちは!」と挨拶をしてからです。
10畳ぐらいの部屋。正面に祭壇があり、その手前で一人の男性が壁に向かって何やら提灯のような広告を作っています。ちらっとこちらを見ただけで、「どなたかな?」でもなければ「ようこそ」でも「ご遠慮ください」でもない。黙ってそのまま作業を続けています。私は立ってその祭壇を見つめていましたが、ちょっとメモしたいことがあり、男性と反対側のテーブルで書き始めました。と、その人がつと立って、お茶を運んできたのです。「どうぞお飲みください。」
その時、私ははたと気がつきました。門の中の内庭ともなっている家々の軒先を、しかも台所みたいなところを他人がのそのそ歩くなど、日本では絶対に考えられない。そんなことは当然わきまえていて、私も入ろうとしないし、入られた方だって、だまってはいないでしょう。その点、ベトナム人は実に大らか、ゆるやか、あけっぴろげ、格式張らない。一方、日本人は礼儀正しく、遠慮がち。奥ゆかしくて、慎み深い。日本語には「分をわきまえる」「出過ぎる、出過ぎない」など、(多分)日本人特有の、外国語に翻訳しにくい言葉があります。
そして改めて感じました。そうだ、ベトナム人は垣根が低く、日本人は垣根が高い。日本人は確かに冷たく見えるかもしれないけれど、心が冷たいのではなく、むしろ相手の邪魔にならないように控えめにしているのだ。だから、ベトナムの皆さんに伝えたい。友達になるために、ちょっと時間と機会をくださいと。「思いやり」の言葉に表されるように、相手を思いやる日本人は本来、温かいのだ。