十人十色

 

 

かれこれ10年ほど前に貿易大学を卒業していった学生にタオ君がいます。この大学にはそもそも女子学生が多いのですが、とりわけ日本語選択クラスにはその傾向が強い。タオのクラスの場合、37人中男子は3人だけ。うらやましい!などと考えてはいけません。正しい語学の習得には男も女も必要なのです!? ただでさえ目立つ男子のうち、彼は特に目立つ。なぜなら全然勉強しないから。宿題はしない、チームワークには加わらない、そっぽ向いて私語ばかり。授業は一コマ2時間半ですから、途中に15分程度の休憩を入れる。「皆さん、少し休みましょう!」で学生たちはほっと一息。携帯電話をかける者、トランプを始める者、廊下に出ておしゃべりする者。 

そんな中でタオはまっすぐキャンティーンへ行く。キャンティーンで肉まんを食べる。教室は4階、キャンティーンは校庭のあっちの方ですから、階段下りて、行って買って帰って来るだけだって5分や10分はかかる。それなのに彼はゆっくりゆっくり食べている。そりゃあ若者ですから腹は減る。しかし、休憩とは言え授業中だ。なかなか帰ってこない。それで私、クラス長を行かせる。「ちょっとタオを呼んできてくれないか。」 戻らない 一人で帰ってきたクラス長に聞くとキャンティーンで食べ終わった後、正門の外の茶店でお茶を飲んでるらしい。しょうがない奴だな 

 

そんなわけですから、試験をやったってロクな点が取れるはずがない。ある日、彼を呼んで説教をしました。「この点を見ろ!すれすれもいいとこだ。もう少しまじめに勉強しないと落第どころか卒業もできないぞ!」

 

そのタオがある日、私を呼び止めました。

「先生、ちょっとちょっと。」

「おう、何だ?」

「先生、これ、奥さんと一緒にどうぞ!」

「ん? 招待状?」

 

見ると、繁華街の一角にある喫茶店の開店祝いの招待状。で、当日。妻と二人でその店へ行ってみました。大通りの角を入り、ちょっと坂を下ったところにある2階建ての喫茶店。10m×15mほどもあるか。1階は普通の構えですが、2階はフローリングで木目肌の低いテーブルとクッションが置いてあり、足を伸ばせるようになっている。ちょいとシック。やおらして普段のGパン姿とは打って変わり、スーツを着込んだタオが顔を見せました。「先生、奥さん、ようこそ!」やや戸惑っている私達に続けて言いました。

 

 「先生、この喫茶店は僕が買ったんです。」

「ええっ! 君が?! すごいねええ!」

「カップ、グラスやテーブル、チェアはもちろん、建物もキッチン用品も従業員も全部僕が買ったんです。」

「えっ? ほんとう?」

「先生、実はこの喫茶店は2軒目なんです。」

「ええええっ!」と言葉を失った私。

「でも、君はまだ学生じゃないか。」

「ええ、僕は貿易大学証券クラブの会長なんです。株で儲けた金でここを買ったんです。」

 

なるほどなるほど、そういうことか…。私はガンと頭を打たれる思いでした。教室では何だかへらへらして軽薄そうなタオ。姿が見えないと思えば外でさぼってるタオ。成績ガタ落ちのタオ。私は日本語の授業でだけ彼を評価していたんだ。人にはそれぞれの能力がある。数学は強いが歴史に弱い人。歴史は強いが経済に弱い人。経済は強いが日本語に弱い人。十人十色。タオは私にとってその確かな事実を強烈に印象付けてくれた恩人です。

 

彼は卒業後、自ら証券会社を起こし、今では社員30人ほども使う会社の社長として大活躍しています。