国子監-ベトナム最古の大学
ベトナム最初の大学は、リー・ニャン・トン王により王子のための学校として10756年に創設されましたが、翌年には国王が選抜した高級官僚の子弟にも拡大されました。後には科挙制度により広い階層に開放され、社会の流動性を促しました。授業は現在の第五の庭の両側に沿った二つの建物で行われました。ここには6棟の学生寮がありましたが、それぞれ25室で、各室2人が住んでいました。また、教材印刷所もありました。当時は学校と寺院が一体となっていました。入学に必要な事項は時代により変わりました。選抜は初めは国王が行いましたが、後には科挙制度となりました。最初の学生は単に漢字が書けることが要求されました。しかし、後には有望な学生に対し、挙人の資格が必要になりました。これは省レベルの学校の学士号に相当するものです。さまざまな年齢の学生たちが一緒に勉強しました。1185年には最少年齢を15歳と定めましたが、上限はありませんでした。学習期間も国王による試験の間隔によって変わりました。普通は3年ごとでしたが、7年も離れて行われることもありました。
講義は基本的には道徳と文章に関する四書と孔子以前の古典である五経により行われ、学生は詩作、評論などの文章形式を学びました。大学課程は毎月4回、それ以上の課程は月2回の授業が行われました。授業の合間に学生は書く課題が与えられ、教師に提出しなければなりません。授業では「優」「良」と記された課題がほかの学生への模範として大声で読み上げられました。
四書五経
四書(孔子の弟子たちによって書かれた書物):論語、孟子、大学、中庸
五経(孔子以前の書物だが、孔子が編纂):詩経、書経、易経、礼記、春秋
現代の批評家は、記憶中心で実用性を考慮せず、中国の歴史・文化を尊び、ベトナムの歴史を顧みないこのような教育方法に批判的です。彼らは「都の橋に座りつつ木の国を語る」ことの見当はずれを指摘しています。しかし、当時このような教育を通じて国に仕えた人々の大きな貢献と優れた才能に対し、尊崇の念が寄せられています。14世紀の学者、チュー・バン・アン(朱文安)は学問と国家に対する誠心誠意の象徴とされています。40年間にわたって国子監の監長としてチュー・バン・アンだけが祭壇に祀られています。彼が作った次の詩は当時の教育が目指した上品な表現方法を感じさせます。
春旦
寂寞山家鎮日閑 竹扉斜擁護軽寒
碧迷雲色天如酔 紅濕華梢露未乾
身奥與孤雲長戀山由 心同古井不生瀾
栢薫半冷茶煙歇 渓鳥一聲春夢残
春の朝
山中の庵にて ひがな心のままに過ごす
竹藪は山の冷気にかかり
緑草は萌え 空は喜びに渦巻く
朝露は赤い花弁に残り
一人 一切れの雲と共に山の端にとどまる
魂は井戸の清水のごとく いかなる揺らめきにも動じることはない
松木が灰となり 土瓶が沸かぬとき
谷間の小鳥のささやきが 春眠から呼び覚ます
チュー・バン・アン(朱文安)